

芭蕉の「奥の細道」の序文のなかに「三里に灸をすうるころほひ」というくだりがある。
旅を計画して準備をすすめ、三里に灸をすえるころになると、いよいよ旅立ちかと身も心も引き締まってくるという内容で、江戸時代は、旅立ちにあたって脚力を強めるのと、内臓を丈夫にするために、膝の下の三里という経穴に灸をすえるのが、習慣だったようだ。
江戸時代と同じ三里の灸で海外出張にでかけた経験がある。
30数年、いやもっと前だったろうか、米ドルと円の交換レートが、1ドル200円以上と今と比べるとずっと円安だったころ、長期間アメリカへ出張することになったのだが、持ち出せる外貨は制約されているので、路銀のドルは僅か。宿泊と食事代をケチらなくてはならないことは覚悟したものの、困ったのはあちらで病気になったときのことである。アメリカの医療費が日本にくらべ、べらぼうに高いことは聞き及んでいたし、それ以上気になったのが、アメリカの医者に細かい病状をつたない英語で話して理解してもらえるかどうかということである。
それなら病気にならならないようにしようと思ったのだが、妙手があるわけはない。これしかないと現代の旅人は奥の細道から俳諧ならぬ灸を学んで、アメリカに出かけた。すえたのは足の三里のほか手の親指と人差し指の間の合谷、腕の曲池などで、灸のせいかどうかはわからないが、テイクアウトのハンバーガーが主食だったのとアメリカのまずいビールの飲みすぎで、軽い下痢をしたくらいで、医者にかかることもなく無事帰国した。
その後はドルの持ち出しが自由になり、為替相場も当時よりは円高になって、保険やクレジットカードも発達、海外出張も楽になったので、三里に灸をすえることはなくなったのだが、それが思いがけずまた鍼、灸、マッサージのお世話になることとなった。
突然声が出なくなる奇病にとりつかれたのがはじまりである。
月曜日の朝、いつものように、テレビを見ながらの朝食をとり、ニュースについての論評などをしゃべっていたのに、背広に着替え、靴を履きながら、「今夜の帰宅は何時ごろ」といおうとしたら声がでない。以前、風邪をひいて2、3日声が出なくなったことがあるので、「またか」と思ってそのままでかけた。声がでないのはまことに不便で、会社に着いても打ち合わせ、会議の発言はもちろん、電話がかかってきてもでられないし、かけることもできない。
それでも心の底では「2、3日でなおるさ」と多寡をくくっていた。
ところが1週間たっても10日たってももとにもどらない。さすがに困りはてて、自宅近くの耳鼻咽喉科にでかけた。初老の医師は鼻の穴から、ファイバースコープを入れて、「声帯が動いていないから反回神経麻痺のようですが、これ以上はここでは調べられないし、治療もできないので、紹介状を書くから大学病院でくわしく調べて、治療してもらってください」とぶつきら棒にいい、紹介状を持って大学病院へ行くことになった。
反回神経麻痺というのは医学用語で、一般名称は声帯麻痺というらしい。
翌日、紹介状を持って大学病院へ行く。ながながと待たされた挙句、その方面の権威という教授の診察を受けた。大学病院だから、実習の学生も一緒に画像をながめてうなずいているが、さらし者になったようで、まことに不愉快。
診断の結果は「声帯の使いすぎで声帯を支える軟骨がずれているらしいから、くわしく検査した上で、手術の方法を選択して位置を治しましょう」というのだった。
「手術といっても切開はしないし、費用もさほどかからない」ということで、それはいいのだが、「日帰りですか」と質問したら「全身麻酔でやるから、4日くらいは入院しなくてはなりません」といわれ、思わずウーンとうなってしまった。たまたま、公私とも多忙を極めていたときで、病院へくる時間だけでも大変なロスなのに、とても4日の空白は捻出できない。その場ではイヤだとはいえずに、手術すべきかすべからざるべきか、ハムレットの悩みをかかえて退出したが、別室で主任看護師と検査日取りを決めるための打ち合わせになって、「手術しない」側に大きく傾いた。
病院居つきのベテランらしい中年の看護師は弱い立場の患者を見下しているのか、言葉使いをはじめ、応対はことごとく横柄で、弱った神経が逆撫でされたからだ。
どういうわけか、病気がらみとなると連絡したくなる中学以来の友人がいる。ニックネームは人造人間というのだが、鉄腕アトムとは関係なく、医者の息子なのに腎臓が悪いといつもむくんだ顔をしていて「腎臓」が「人造」になった次第。いまは腎臓もよくなって地方のある大学で国文学の講座を持っていて、源氏物語などの平安文学をその時代の発音で読む特技があって、女子学生に人気があるそうである。
彼は病気になっても大学病院には決して行かない。「あんな不愉快なところは病気を助長する」というのが、彼の言い分である。同感!あいつなら分かってくれるだろうと、声がでないから手紙で事情を知らせ、聞くのは通常どおりだと注釈をつけておいたら、電話があり、「医学部の友人にきいたら、それは突発性反回神経麻痺というので、ほとんど原因不明。特別の治療法はなく、ほおっておいても治るやつもいるし、手術をしても治るかどうかわからんそうだ」「歳のせいで、おれもあちこち悪いが、西洋医学はやめて、東洋医学で治療している。君も東洋医学で治せよ」という。大学病院はもちろん、西洋医学にも決別したらしい。
2、3日たってさらに電話があり、「漢方薬は半夏厚木湯、あとは鍼、灸、マッサージだな、おれも去年ベル麻痺で顔が半分動かなくなったが、鍼と灸で治ったよ」と具体的な推奨があった。
大学病院の先生には悪いが、旧友の言葉には温かみがある。入院せずに済むのなら、手術はせずに、これでいこうと心に決めた。
そこまではよかったが、パソコン、新聞のチラシ、近所のうわさをたよりに治療してくれる鍼灸院を探しはじめて、ハタと困ったことがある。どこも腰痛、肩こり、神経痛など治療項目が書いてあるが、反回神経麻痺や声帯麻痺の治療などと治療項目を具体的にかかげたところは一つもない。つまりそんなわけのわからないものは対象になっていないらしいのだ。
看板にかかげてなくても、治療の経験があるベテランの鍼灸師に出会えばいいのだが、そんな先生にめぐりあう方法がない。
ベテランがみつからないのなら、構成員が若くて研究心のある鍼灸院をみつけるより手はないだろう。ホームページをたよりに、自宅付近の鍼灸院、整骨院をみて回っているうちに、イメージに合いそうな鍼灸院を見つけて飛び込んだ。
40歳台の院長が最年長であとは若手の鍼灸師、女の先生も3人と想定どおりで、全体的に明るく活気がある。
初診カードに病状を記入して、欄外に、動かなくなった声帯に鍼を刺して微弱電流でも流してみたい感じだということと、半年以内に復調することを望むと書き足した。
鍼灸院の中は受付、待合室があり、治療室にはカーテンで仕切った10ほどのベッドがあって、待合室で待っていると順番に中に入るのは病院と同じ。
担当した若い先生は「なるべくご希望に沿いましょう」と意外と分かってくれて、鍼治療は上半身、とくにいかれた声帯のあるノドの周辺に鍼を刺すことから始まった。
そのほか両腕、腹、背中の経穴にも鍼を刺し、刺した鍼はそのまま立てておいて、端子をクリックして、低周波の電流を流す。大体希望どおりとまず満足した。
低周波治療器のスイッチを入れると、上半身がビリビリしはじめた。これで、サボっていた声帯もたまがって動き出すだろうと快哉を叫んだものの、声帯も頑固で、素直には動かない。一回の治療が、鍼と灸それにマッサージをして、45分、人造人間ご推奨の半夏厚木湯を飲みながら、週2回治療に通った。
それでも、頑固な声帯はなかなか動きださない。あちこちの経穴を試した末、長めの毫鍼で声帯に近い経穴を刺して低周波の電気をとおし、やっと動きだしたのが、3ヶ月めである。麻痺した声帯が鍼と電気で動きだしたとき、中学校の理科の実験で、蛙を解剖したときのことを思いだした。皮をはぎ、内臓を取り除いて、筋肉だけになった蛙が、電池の電極を当てると、ぴょんぴょん飛び跳ねたのだ。あれだッ。
驚いて動きだした声帯が、安定して復調するまで、さらにひと月かかった。人造人間に電話したら、「しゃべっていることがよくわかる。よかった、よかった」とよろこんでくれた。ものが云えることは実にすばらしい。
鍼というと「痛いだろう」とよくきかれる。筋肉に刺すのだから、刺し方によって多少は痛い。神経に触れるとビリッとくることもあるし、毛細血管にあたると出血することもある。現在一般に使用されている鍼は毫鍼という種類の先端のとがった細い鍼で、径の大きさで1番鍼から30番鍼まであるらしいのだが、普通用いられるのは、10番鍼位までのようだ。
その中でも最も多く使われるのは3番鍼で直径の平均は0.2ミリ、長さは刺す位置によって違いがあるが、通常5センチメートル位で、注射針を刺すよりははるかに痛くないし、まったく感じないことのほうが多い。
毫鍼の「毫」は先が非常に細いという意味。鍼灸について記述した古文書によると「毫鍼は寒熱痛痺経絡にあるに用ゆ」とあるから、最もポピュラータイプなのであろう。素材に以前は金、銀、鉄を用いたが、現在はほとんどステンレス、しかも使い捨てである。
この毫鍼を刺すには指で刺す(撚鍼)か位置決めに管を使って指先ではじいたり、小槌で打ち込む管鍼法で用いる。その管もいまはプラスチック製でこれも使い捨てである。
余談になるが、以前鍼は使用後滅菌消毒して再使用されていたのだが、鍼灸院が使い捨ての鍼を使用するようになって、需要が一気に増え、これに対応するために、あるメーカーでは、手工業的だった鍼の製造工程を伸線、切断、溶接、研磨、洗浄と自動化し、品質管理を徹底させて量産をすすめ、日本国内への供給はもちろん、世界各国にも輸出する成長企業となった。
いい機会だからと、鍼灸の歴史にすこし首を突っ込んでみた。
鍼灸による病気治療は中国に始まったというのが、定説のようだが、どうも中国のオリジナルではなく、インドから渡来したものらしい。それが中国で発展して整備され、奈良時代に日本に渡来している。渡来した鍼灸術は日本で独自に発展、江戸時代には徳川幕府の庇護も受けて、もぐさと線香があればできる灸はとくに広く普及した。家庭で月に一度子供たちを並ばせて背中に灸をすえたなどという話はざらで、弘法灸、淡島灸など固有名詞のついた灸が有名になったり、強情灸、がまん灸が落語に登場したり、「お灸をすえる」という言葉が生まれたのもこの時代である。幕末には、西洋医学の流入の見返りのような形で、鍼灸はオランダやドイツにも紹介されている。
明治になって、西欧一辺倒の明治政府は鍼灸を西洋医学より下にみて、一時は「西洋医学を学んだ医師の指図なしにはおこなってはならない」としたこともあり、その後管理をゆるやかにしたものの、東洋医学、鍼灸術の蔑視はいまも続いているようにみえる。西洋医の中には鍼灸というと軽蔑したり、せせら笑う人がいるのもその影響だろう。
西洋医学と東洋医学は病気に対する見方が異なる。西洋医学は病名を特定し、それに対する治療をするが、東洋医学では症状に重きを置いて治療する。極端に言えば病名はなくてもよい、「反回神経麻痺」、「ひどい声がれ」「原因不明」なんでもいい、要は治すことだ。鍼灸は東洋医学がベースなのだから、西洋医学的な考え方にこだわらないほうがよく理解できると思う。
だからといって東洋医学、鍼灸を手放しで礼賛するわけではない。鍼灸、とくに鍼が劇的に効いたという実例は急性胃炎、しゃっくり等々あるが、「がんには効かない」「通風はなおらない」というのが通説、三里の灸で旅にでかけた江戸時代の旅人にも当然ながら効かなかった人もいたらしく、芭蕉にもこんな句がある。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」(信)
追記
反回神経は迷走神経の一部で、一度下がって反回して声帯に到るので、この名称になったそうだ。
鍼は針、はり、ハリと同じ。縫い針と混同しないように鍼を使った。