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コラム

歴史寸描

大森銀行ギャング事件

ギャングという言葉は最近あまり使われなくなった。禁酒法時代のアル・カポネ率いるギャング団。これに対抗するFBIのエリオット・ネスなどはすでに伝説の人物になってしまっているから、いまならギャングなどといわずに、タイトルは「大森銀行強盗事件」となるだろう。
舞台となったのは川崎第百銀行大森支店である。この銀行は戦時中三菱銀行に吸収されて消滅したが、大森支店の建物はその後も存在していた。場所はJR大森駅北口を山王側にでると池上通りに面するが、駅を背に右に50メートルほど行くと、ジャーマン通りとのT字路になり、ジャーマン通りを前にして立つとジャーマン通りの右手がその舞台、川崎第百銀行大森支店のあったところだ。

いまは別の建物が建ち、往時の面影はないが、当社が設立された1973年(昭和48年)当時には、そこにはまだその建物があり、第一勧業銀行大森支店が入っていたと記憶している。第一勧銀はほどなく大森駅前に建ったビルに移り、やがて富士銀行との合併で、みずほ銀行大森山王支店となり、一昨年大森支店となって現在に至っている。

筋書きがあった

日本最初の銀行強盗事件「大森銀行ギャング事件」が発生したのは1932年(昭和7年)10月7日である。ギャングというからには、豆絞りの手ぬぐいで覆面をして出刃包丁をちらつかせる和製強盗ではなく、レインコートに身を包み、付け髭で変装、拳銃らしきものをちらつかせるハリウッドまがいの洋式強盗であった。行員をホールドアップさせて奪った現金は3万円(武蔵義弘氏は現在なら1億円かといっておられる)である。
このド派手な銀行強盗は4日後に逮捕されるが、犯行は当時の日本共産党の若手党員によるものであった。だから、この事件は別名「赤色ギャング事件」などともいわれた。
実行したのはいまでいう組織の跳ね返りだが、企画、立案は当時の党の最高幹部で党内ではMとよばれていた自称松村昇で、松村は日本共産党を壊滅するために警察から送り込まれたスパイだったというからややこしい。もちろん当時、松村が警察のスパイだとわかるわけもなく、この事件でギャングもやる危険な政党として、平等社会を夢見た労働者、農民の党、日本共産党の評価は失墜し、1945年(昭和20年)まで、地下に逼塞することとなった。

馬込、大森ガラはいい

以前、会社の最寄駅はJR大森というと「ガラの悪いところだ」といわれることがあった。相手は年配の方だったから、この事件がベースにあったのかもしれない。事件の舞台だったからといってガラが悪いといわれたのでは間尺にあわない。大森は日本考古学の発祥の地といわれる大森貝塚で名高く、名産は海苔である。
馬込は日本文学史にも登場する馬込文士村で有名だ。
事件現場を説明するにあたって、ジャーマン通をあげたが、この名称はこの通りに東京在住のドイツ人子弟が通うドイツ学園があったからで(現在は移転)、横文字の通り名など、シャレていて珍しい。ただ、ドイツの学校だったというのに彼らの母国のドイツ語でも所在地の日本語でもなく関係のない英語で通りの名前がついたのは不可思議ではあるが、これは馬込、大森の国際的おおらかさと解釈すべきであろう。(川)

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